「修身教育」の再評価


戦後の「道徳教育」は「修身教育」を超えたか


 明治37年以降の国定教科書による修身教育は約50年。
昭和33年公示の学習指導要領から特設した 「道徳の時間」を中核とする戦後道徳教育も半世紀を経過した。
新聞やテレビは連日、多種多様な凶悪事件を報じている。
比喩的に言えばギリシャ神話「パンドラの箱」の蓋が吹っ飛び、閉じ込められていたありとあらゆる人間の悪事が、日本中に拡散した状態だ。

 国民道徳がここまで劣化すれば修身教育と戦後道徳教育の比較は無用だ。
微視的には親孝行の子供を育て、巨視的には子供に向学心や克己心、愛国心を培い「高貴な精神」の素地を涵養した点で、修身教育の方が断然優れていたことは明白である。
この事実から目を逸らした道徳教育論議は空論に等しい。
そこで提言する。
「道徳の授業及び道徳教材の在り方については、あらゆるタブーを打破し公正に修身教育を再評価すること」。


「修身」の意義と尋常小修身書の内容

 「修」には「美しく飾る」という意味がある。
だから修身は机上の学問ではなく、自らの行いを正す「身体表現」である。

 連合国軍総司令部(GHQ)の教育担当者による修身教科書調査の結果は、全面否定ではなかった。
だがGHQは修身科の存続を許さなかった。
教育的見地より日本弱体化を狙った占領政策遂行上の効果を優先し、日本人に敗戦国の現実を知らせる「見せしめの懲罰」を行ったのである。
厳しい言論統制下で大多数の国民は、修身科は「民主主義の敵」として抹殺されたとの認識が刷り込まれた。 この誤解は現在も払拭されていない。

 大正中期から昭和初期まで長期間使用された第3期『尋常小學修身書』 の検討を通して、修身教育の内容を明らかにする。
低学年の教科書ではウソヲイフナ、ギョウギヲヨクセヨ、ジブンノコトハジプンデセネバナラヌ、キソクニシタガヘ等、規範や躾を命令口調で指示し、挿絵や身近な例話を添えている。

 中・高学年の教科書は「立派な人物の逸話集」だ。
3年用には修身の代表的人物二宮金次郎が孝行・勤勉・学問の課目に登場、谷干城=忠君愛国、本居宣長=整頓、上杉鷹山=尊師、春日局=遵法、木村重成=勇気・堪忍、徳川光園=倹約、貝原益軒=寛大・健康、毛利元就父子=共同等の逸話が載っている。

 次に4年〜6年用に登場する主な歴史上の人物を列挙する。
渡辺華山、豊臣秀吉、ジェンナー、円山応挙、楠木正成・正行父子、ナイチンゲール、ソクラテス、コロンブス、吉田松陰、勝海舟、新井白石、西郷隆盛、橋本左内、加藤清正、高田屋嘉兵衛、中江藤樹、佐久間勉、フランクリン、乃木希典、伊能忠敬等々、当時の子供達の憧れの人物が勢揃いしている。

 負薪読書少年像―。終戦直後、隠匿武器の摘発に当たった進駐軍兵士が各地の学校で発見したのは銃器刀剣の類ではなく、薪を背負い本を読みながら道を歩く、不思議な少年像だった。
GHQが調査の結果、立派な人物であることが判明、二宮尊徳は 「リンカーンに比肩する人物だ」との声も出たという。

 昔の子供は修身の学習の上に、朝夕見慣れた金次郎少年像から無言の感化を受けた。
その修身の象徴が次々と撤去された。
同時に孝行、勤勉、倹約、向学、克己、謙譲、報恩等の文字が消えた。
言葉を失えば当然、言葉に対応する実践も低下する。
道徳教育は難しい。 だから行動の「模範」が必要なのである。