「孝」「孝行」について


 近年、社会の様相や人心が激変し、人倫に悖る事件が頻発しているが、これは戦後「孝」の教育を怠ったつけであろう。
教育基本法と並存する筈であった教育勅語の廃止。刑法の尊属殺の規定の削除。民法の改定による家制度の否定。家族制度の解体により、親や長上を敬い、大切に仕えるという心を失った。
また子供の人権や自由を云々し、躾をせず気ままに育て、親子平等の風潮まで生じた結果、「親の面倒をみたい」という青少年の意識は、他国に比して極めて低い状況にある。

孝・孝行とは

 「孝」は老の省略形と子の合字で、子が老親を背負う形。
子として真心を以って両親に仕える道を孝という。
「孝行」は子が親の心に従い、よく尽くす。親を大切にすること。
「孝は百行の本」とは、孝はすべての善行の根本との意。
教育勅語にも「父母ニ孝ニ」と最初に述べられている。孝が重要な所以である。

孝経及び論語に示された孝

 「経」とは万世不易の大綱であり、人間の大道の意。孝経は孔子が孝の大道を説いたものである。
「それ孝は徳の元なり。教えのよりて生ずる所なり」「身・体・髪・膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に挙げ、以って父母を顕すは孝の終わりなり。」その他、病親に尽くし、喪には哀しみを致し、祭を厳にす等と説かれている。
孝を封建的道徳と考え、親が子に服従を強制するかのような概念を持つのは誤りで、孝経には親の不義に対しては、諫言すべきであると説いている。 
日本人は漢書の渡来以前より孝を重視し、皇室・将軍家・武士・寺子屋では、漢籍の習い始めに孝経を用いた。

 孔子にとって孝行は人倫の基本であった。
論語には「孝悌は仁の本か」「父母在ませば遠く遊ばず。遊ぶには必ず方あり」「父母の年は知らざるべからず」その他、親の誤りは穏やかに諌め、親が従わない時は代わって誤りを正せ。親と意見が異なる時は短慮せず、親の死後三年経てから変えよ。親に礼儀を尽くせ等、孝について具体的に述べられている。 

修身教科書に示された孝行

 「オトウサン オカアサン」「オヤヲタイセツニ」「ソセンヲ タットベ」「トシヨリヲ ウヤマエ」等の項目があり「孝ハ徳ノハジメ」「孝ハ親ヲ安ンズルヨリ大イナルハナシ」等の格言を示している。
内容は孝経や論語に通じるものがあり、まさに人道を教えている。


まとめ

 親子の情は生物の自然であるが、動物と異なり人間は子の成人後も絆を保ち、祖先から子孫への命脈を大切にする。
今は核家族が普通となり、親が孝行の生きた手本を示す場が少なくなった。
また戦後世代が既に子育てを終える現在、家庭教育に頼るだけでなく、学校教育に於いても孝行の教育をする必要を痛感する。 
しかし、学習指導要領は、「孝」に全く触れていない。

 家庭は楽しいだけではなく、生涯を通じての運命共同体との認識が必要である。
是非、道徳に「孝」の一項を設けて孝行の教育をすべきである。
「孝」の精神を失った民族は滅びるとも言われる。
先祖を敬い、親を大切にし、子孫のためによき先祖となる精神の持続によって、民族は永遠に命を保つのである。