「礼」「礼儀」について


 日本に古来からある伝統的な稽古事に剣道・将棋・茶道・華道などがある。これらは全て「礼」に始まり「礼」に終わる。
例えば、剣道の稽古は、神前に拝礼、次いで師範(先生)に礼、お互いに礼の後に稽古が始まる。
稽古の終りは師範(先生)に礼、神前に拝礼、そしてお互いに礼である。
江戸時代、寺子屋では読み書き算盤を教えながら、同時に礼儀や躾、公を重んじる心などを教えていたが、その頃の日本は生活は貧しくとも、心は豊かであった。

 古来日本は弱いものへの思いやりや洗練された礼儀作法など、世界に誇れる高潔な国柄であった。そこには日本の伝統や文化に支えれた「日本精神」があった。
それらの根本の教えは「武士道」、「教育勅語」、「修身」の教えに集約できる。


武士道

 新渡戸稲造は「武士道」の著の中で、本当の礼は、他人の感情に対する同情的配慮が外に現れ出たものであるべきである。礼は、また、本来よろしきを得た事物に対する、相応の尊重、それゆえに社会的地位に対する相応の尊敬を意味する。と述べている。

教育勅語

 「教育勅語」に関しては杉浦重剛翁の御進講草案が特に注目されるものであり、〈恭倹の二字、ともに礼節の意味を含む。品性の崇高なる人は、何事にも恭敬、謙譲の態度を以てこれに臨む。故に人をして奥床しき感を与へ、尊敬の念を起さしむ。「みのるほど首をさげる稲穂かな」とは、恭倹の徳を詠嘆せるものなり。〉と述べている。

修身

 礼儀を重んじる伝統は太古から培われてきた外国に誇れる美風である。
時代が変わっても、礼儀が大切であることに変わりはない。
修身教育を現在に全て適応せよと言うのではないが、心の教育をしなくなってから、心が貧しくなり、多くの社会問題が生じてきているように思う。
礼儀にかなった行いや行動は社会生活のうえで円滑な潤滑油となることは間違いないだろう。


 尚、礼儀と言えば礼儀作法が浮かぶが、礼法として確立されているものには、「小笠原流礼法」がある。
武家の素朴な礼の本義を示していると言える。
そこでは礼法の真髄とは、自分を良く見せようと背伸びをしたり、見栄を張るのではなく、自分自身の心で相手を大切に思い、その心からなる自然な振る舞いをすることが重要なのだと説いている。
「水は方円の器に随う心なり」と礼法の真髄を語っている。

 また、礼法の体系化を語る上で、孔子の「礼」の思想を忘れることは出来ない。
孔子の説く最高の徳目は「仁」であり、『論語』にある「己れの欲せざるところは、人に施すことなかれ」という言葉の根底には、他を思いやることに重点がおかれている。
改正された教育基本法にやっと「国を愛する態度」が入った。
新学習指導要領案には終戦後の一時期、連合国軍総司令部(GHQ)により禁止された武道も、中学一・二年の体育で男女ともに必修化される。
柔道、剣道、相撲などの武道を通し、礼儀や公正な態度を学ばせる良い機会になるであろう。
武道を通し自国への自信と誇りを取り戻してほしい。