「モロッコの風」      2013.10.10〜10.18

旅の初めに
友人に「今度はモロッコに行ってみようと思っている」という話をすると、「アルジェリアでテロがあったし、エジプトも騒乱状態だと言うし、モロッコも危ない国じゃない? 大丈夫?」と心配された。
旅行社から大丈夫らしいという話は聞いていたので私も妻も一応安心はしていたが、6泊9日の強行スケジュールの観光旅行を終えて、無事帰ってきました。
旅の様子と、何故無事帰って来られたのかを振り返ってみたいと思います。

カタール航空でカサブランカへ
 カタール航空、成田発22:30の最終便で6泊9日の旅に出かけた。 初めはエジプト航空を使う予定でしたが、カイロ空港への立ち入りが出来ないというので、急遽、ツアーの旅行社を変更し、航空会社もカタール航空に変更しました。 私達と同じように変更した旅行者も多く、ツアーは40名の大きなグループで行くことになりました。
カタール航空で約11時間飛んで、ドーハのハマド国際空港に到着。ここで6時間待ちの後、再びカタール航空に乗り継いで約8時間でカサブランカに到着しました。更にバスで3時間走ってようやくモロッコ国内旅行のスタート地点に到着しました。


モロッコ国内を風のように駆け抜ける
 3日目から7日目までの5日間でマラケシュ、ワルザザード、エルフード、フェズ、ラバト、カサブランカとモロッコを風のように駆け抜けました。


● 3日目 まず、マラケシュの観光。 
旧市街は世界遺産だそうで、ジャマ・エル・フナ広場でモロッコ名物のミントティーを飲みながら、コブラを踊らせている蛇つかいを眺めていました。
 その後、バスでオートアトラス山脈を越え、南のワルザザードへ向かいました。途中、女性に人気があるアルガンオイルやバラの花からとったローズオイル等を売る店に立ち寄りました。


 モロッコは観光が盛んで、フランス・スペイン・ドイツなどから多くの観光客が来ています。 
モロッコとスペインの間のジブラルタル海峡は14km、津軽海峡は20kmだから、モロッコとヨーロッパが近いということを実感します。バイクや車でツーリングを楽しむ人たちも多く、パリ・ダカールラリーもこの道を使っていたそうです。
 オートアトラス山脈を越え、世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥ(ハッドゥの息子達)要塞村に立ち寄りました。この建物は7世紀に、アラブ人からの攻撃を防ぐために、ベルベル人によって作られたそうで、「アラビアのロレンス」等のロケ地になったそうです。


● 4日目 今日はワルザザードからカスバ街道をエルフードまで行きます  
 カスバは、村長さんの家(或は要塞)みたいな意味のようで、今では、殆んどのカスバはホテルやレストランになっています。
街道を進んで行くと、スーク(市場)が、ものすごく賑わっていました。 犠牲祭(昔の日本のお正月のようなもの)が近づき、人々は羊や食料品や菓子などをいっぱい買い込み、祭りを迎えます。 故郷で遊ぶモロッコの子供たちは、ドラえもんや、アンパンマンが大好きだそうです。

 更に走って、ナツメヤシが茂るトドラ川沿いのオアシスに到着。 オアシスで昼食をすませて、砂漠の中を進んで行くと、蟻塚のようなものが点々と続きます。 アトラス山脈から水を引いていたカナートの跡で、今は干上がっていて、傍にコンクリート製の給水パイプが敷設されています。 
日もとっぷり暮れて、エルフードのホテルに到着。 この辺りは、昔は海の底だったようで、土産物屋でアンモナイトや三葉虫の化石を売っていました。


● 5日目 サハラの前進拠点メズルーガへ早朝5時に4WDでホテルを出発 
更に、ベルベル人のサポーターに助けられながら、ラクダや徒歩で砂漠を進み、ご来光を待ちます。 
ところで、ご来光を拝みに行ったのは、日本人の3つのグループだけで、約120人。 
オーロラを見に行った時も、殆んど日本人だけ。 自然現象を楽しむのが、日本人の特性と言えそうです。


 砂漠の前進拠点で朝食を済ませ、オートアトラス山脈を越えて、リゾート地イフランに向います。
オートアトラス山脈の南の地域では、ロバや馬が引く荷車が乗り合いのローカルバスで、庶民の重要な輸送手段です。 
この地域では店先でお茶と話を楽しむのは男性ばかりで、滅多に女性に出会いません。 
オートアトラス山脈を越えて、内陸の砂漠地帯から海岸沿いの地帯へ向かう途中、大きな岩がゴロゴロしていましたが、地震がないので大丈夫なのだそうです。
峠を越えると、アトラス杉の茂る森林地帯に出ました。 ここには国王の別荘があり、スキーもできるリゾート地で、更に進むとイフランに到着しました。 街路樹にマロニエなども植えられており、ヨーロッパのリゾートの雰囲気でした。


● 6日目 早朝からフェズから100kmほどの所にある、世界遺産ヴォルビリス遺跡を訪問しました
紀元前1世紀に築かれ、ローマ属州の州都となった遺跡で、1755年のリスボン大地震で被害を受け、その後修復されました。
イルカなどの動物や魚、ローマ神話の神々、サーカスなど様々な彫刻や、ローマ風呂、水洗トイレなど、おなじみのローマ時代の遺跡が残されていました。


午後は世界遺産フェズの旧市街メディナを散策しました。
世界一の迷路の町、フェズのメディナは、細い道が続きます。 旧市街の店では、豚肉は扱わないが、果物、エスカルゴ、らくだの肉、色々な食材が豊富で、職人さんも多い。 結婚衣装屋、染物屋、革製品屋、焼き物屋、銀細工屋・・・
メディナには古いモスクもありました。カラウィン・モスクは9世紀に建てられ、現在も大学として多くの学者や学生が活動しており、アッタリーン・マドラサ(神学校)は14世紀に建てられた神学校で、アトラス杉で作られた壁が美しい。


● 7日目 フェズの王宮を訪問した後、メディナの方に進んで行くと
白い服を着た大勢のイスラム教信者たちが、青空の下でのお祈りから帰ってきたところに出会いました。 この日はたまたま犠牲祭の初日で、更に歩いて行くと、本当に幸運なことに、メディナの入り口にあるブー・ジュルード門を馬に乗って通る犠牲祭のセレモニーの一行に出会いました。
メディナ内のハミドさんのお宅でミントティーをご馳走していただいた後、外に出ると、町中で羊が生贄になる風景に出会いました。 最高のお供え物として、稲作民族の日本人がお正月に鏡餅をお供えするように、遊牧民族のイスラム教徒は犠牲祭に羊を神にお供えするということのようです。


フェズを後にして、メクネスワインで有名なメクネスに到着しました。 17世紀にムーレイ・イスマイルが築いた王宮が有名で、まっすぐな道は「風の道」と呼ばれています。 
更に走って、首都ラバトに到着。ラバトは1912年からフェズに代わって首都になりました。
ここでは現国王ムハンマド6世の祖父であるムハンマド5世の霊廟や、1195年、ヤークブ・マンスールが建設に着手したハッサンの塔(未完)を見学しました。


首都ラバトから更に走って、モロッコ第一の経済都市カサブランカに向かいます。 カサブランカは、フランスが港湾を整備した頃から発展したらしく、見た感じは日本の大都市に似ています。 
1993年に完成した現国王の父の名を冠したハッサン2世モスクは、世界で5番目の大きさで、2万5千人が礼拝でき、ミナレットの高さは200mです。
カサブランカでは勿体ない話ですが、カサブランカ・ダンディになることもなく、風のようにモロッコを駆け抜けた体を癒し、帰路2日間のため体調の調整に専心しました。 


モロッコはなぜ安全なの?
一介の旅行者がたった5日間の観光旅行の見聞からモロッコ王国の安全保障を論ずるなどということは、誤ったことも多く、不遜なことだとは思いますが、一旅行者としてのフィーリングを述べてみたいと思います。

● 愛される王様
モロッコ王国は下院・上院の議会を持つ立憲君主国で、首相は選挙で選出されており、国王のムハンマド6世は、17世紀から続くアラウィー朝の継承者です。 モロッコは、19世紀から20世紀にかけては、ヨーロッパ諸国の侵略を受けていましたが、1956年フランスから独立し、翌、1957年アラウィー朝のスルタンであるムハンマド5世が国王になりました。その後、ハッサン2世、ムハンマド6世が国王を継承し、人民政党等の反対勢力や隣国との抗争を逐次解決して、国王の権威を確立してきました。前国王・現国王ともに国民生活向上の活動の最前線に立ってきました。
現国王ムハンマド6世は,貧困の撲滅,失業問題の改善や教育の充実など、国民に軸足を置いた政策を重視しており、また、ラーラ・サルマ王妃、王子・王女とともに国民の敬愛を得ており、国民感情が安定していることが、安全の第一歩のように思われます。


● 厳しすぎない社会
モロッコ人の宗教はイスラム教スンニ派がほとんどですが、シーア派と対立抗争も無いようです。かつては、国内にユダヤ教徒も多くいたそうですが、イスラエルの建国の際に転出し、その後はごく少数が残っているようです。
フランスによる統治の歴史や、ぶどうの名産地で有名なワインが作られていることから、おおっぴらではありませんが、飲酒も行われているようです。
国民の65%がアラブ人、35%がベルベル人という構成になっていますが、ルーツが同じであり、また、ベルベル人の生活向上策などにより、大きな緊張は生じていないようです。


● 将来への夢
 モロッコは現在産油国ではありませんが、潜在的な石油産出能力が確認されているそうです。
また、ジブラルタル海峡を経てヨーロッパと接しているタンジールでは自動車工業が盛んであり、新幹線や高速道路網の整備も計画されており、社会資本の充実を目指しています。
 ベルベル人が多く住むアトラス山脈の南のサハラ砂漠に続く地域では、大規模太陽光発電事業やダム建設・導水管の設置・植樹による生活環境の改善などが行なわれています。
 また、教育や医療の無料化等により、国民が将来に希望を持っているように思われます。

● テロを許さない力
モロッコでは2006年にそれまでの徴兵制から志願兵制に移行しましたが、今でも西サハラの帰属問題を抱えています。また、過去には、国内で爆破テロも発生しましたが、現在ではテロの発生を未然防止し、比較的平穏な状態が続いています。
強い軍隊と治安維持組織が国民生活の安全を維持する重要要素であることがよく分かります。

日本へ帰って
疾風のようにモロッコを一周し、また、二日をかけて日本に帰ってきましたが、日本では伊豆大島での台風による山崩れ被害とその救援活動が報じられていました。
地球には雨の降らない所や、雨が降りすぎる所があり、自然の中で生きてゆかざるを得ない人間の宿命を感じました。