「南コーカサスの国々」を訪ねて
2014.10.22〜10.30

(その1) カタール・アゼルバイジャンの旅

 南コーカサス(南カフカス)の国々(アゼルバイジャン・アルメニア・グルジア)に草原のシルクロードがあったことを知って以来、一度は行ってみたいと思っていた。 草原のシルクロードは西安からモンゴルやカザフスタンのステップ地帯を通り、カスピ海から南コーカサスを経てトルコに至る道です。

 3か国はともに1991年、旧ソビエト連邦から独立した国で日本では馴染みが浅い上に、危ないと言われているウクライナや「北コーカサス」のチェチェンやオセチアにも近く、西と南にはトルコとイランという地勢にあるため、もともと旅行社が提供するツアーも少なく、2014年10月22日〜30日の間、ようやく出かけることができた。

     

 ツアーではアゼルバイジャンとアルメニアの間にはナゴルノ・カラバフ自治州を巡る国境問題があるため、アゼルバイジャンの後、グルジアとアルメニアを往復するコースを取ったが、この旅行記では実際の旅行日程とは違って国ごとの印象を記してみたいと思う。

     

始まりはカタール航空から

 スタートは成田空港発22:30の最終便、カタール航空QR807便で、ドーハの空港へ。
そこで少しくつろいだ後、ドーハのビル群を後にして、イランのシラーズ、イスファハン、テヘランの上空を真っ直ぐ北へ2時間半の旅。 更にカスピ海上空へ抜けてアゼルバイジャンのヘイデル・アリエフ空港へ到着した。 

 

 

天然資源が豊かな国 アゼルバイジャン
           
 最初の国、アゼルバイジャン共和国は人口約950万人で、国民の93%がアゼルバイジャン人。宗教は90%がイスラム教、経済はバクー油田などの天然資源が豊かであり、ゾロアスター教(拝火教)発祥の国。

                   

ノーベル家やロスチャイルド家がバクー油田で莫大な資産を築いており、また、ソ連邦時代には世界の半分以上の原油を産出した歴史がある。陸上での石油井戸は20世紀末にはほぼ枯渇したが、今、カスピ海沖で石油が産出したことにより、ドバイを越すほどのバブル景気に沸いている。

 

拝火教寺院

バクーはゾロアスターが拝火教を始めた地で、地面から炎が上がっている不思議な光景を見て火を崇拝する気持ちが生まれたのも当然だと感じられた。
拝火教の施設は、建設後、イスラム教徒により破壊されたが、インド在住の拝火教徒の寄付により復興されている。

 

バクーの町を散策

町のシンボルであるフレームタワー(炎の塔)へ出かけた。その傍には殉教者の小道があり、1990年、ソ連邦崩壊の寸前にソ連軍がバクーに侵攻してきたときの戦死者の墓や、アルメニアと「ナゴルノ・カラバフ」を巡る紛争による戦死者を追悼する施設がある。第2次大戦前に日本で活躍したソ連軍のスパイ、ゾルゲがバクー出身だそうで、町の中に大きな「目玉」のレリーフがあった。

 

殉教者の小道の高台からカスピ海やバクーの町を見渡すことができる。町は至る所ビルを建築中である。従来からの建物はロシア風やヨーロッパ風の重厚な雰囲気を持っているが、最近は個性的な建物が多い。 石油成金が建築に投資をしているようだ。
 

キャラバンサライで夕食

楽しみにしていたマーケットを訪問したが、名産のザクロやいろいろな魚が売られていた。カスピ海と言えば、キャビアが有名だが高価だったので試食だけで済ませた。

 

バクーは昔、シルクロードだった所で、夕食はキャラバンサライ(旅人宿)を改装したレストランで民族音楽を聞いたり、ボリュームたっぷりの熟女が踊るベリーダンスを見ながら夕食を楽しんだ。

 

旧市街(世界遺産)を散策

アゼルバイジャンの2日目は旧市街にあるシルバン・シャフ宮殿やメイデンタワー(乙女の塔)を散策した。シルバン・シャフ宮殿はこの地を治めたモンゴル系のシルバン・シャフ・ハーン一族が居住していた宮殿で、内部はプロジェクターを使ったりして、生活の様子がよく分かるように展示されていた。

 

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