「南エチオピアの人々」
2016年3月9日〜18日

(その2) 

(その1)へ


5日目 今日はムルシ族を訪問、南へ走ってトゥルミまで旅をします。
この日は丁度日曜日で、エコオモロッジの朝はイスラムのアザーンのようなエチオピア正教の放送がニワトリの声に混ざっていつまでも流れていました。

午前はムルシ族の村を訪問
ムルシ族はマゴ国立公園周辺に住んでいて、女性は下唇にお皿を入れます。
皿が大きいほど美人とされ、男の持参金が増えるそうです。11歳頃から下唇に穴を開け、下の前歯は皿に当たらないよう抜いています。

写真を撮ろうとすると、さっと大勢の人が並んでしまい、やっといいモデルを見つけたところ、背中から赤ちゃんを前に廻してきて、その隣にもライフル銃の彼女が現れ、最後に手だけ写った女性が画面に入りました。これで撮影料5人分25ブル。(125円)
女性はこのモデル料が主な現金収入のようなので、真剣な努力には頭が下がります。
男性はトンガと云う木の杖を持ちこの杖で戦う競技があり、トンガの優勝者は英雄として尊敬されるそうです。

   

トヨタランクルもギブアップ
ムルシ族の村からトゥルミへの移動の途中、40℃以上の暑さと、未舗装の悪路が重なり、3台のランクルの内、2台でタイヤのパンクが起こり、エンジン不調も発生。牽引ベルトで牽引中にベルトが切れるやら、後続車のブレーキが利かず先行車に接触、あわや横転というトラブルが発生し、「パリ・ダカール・ラリー」を生で体験しているような気分でした。

   

ようやく、夜になってTURUMI LODGE に到着
トゥルミはエチオピアでも最南部でケニアや南スーダンがすぐ近くになります。
シャワー等のインフラが不完全で、部屋の中には小さなカナブンやバッタのような虫も沢山いて、少々の驚きはありましたが、なんとか凌ぐことができました。
また、ロッジと食堂が離れていて、かなりの距離が暗い夜道だったので満天の星を楽しむことができました。
ここTURUMI LODGEでは2連泊しました。

6日目 今日はトゥルミを拠点に、180km走ってムルレを訪問します。

カロ族の村へ移動
桜の花のような砂漠の花(Desert Flower)が見られましたが、乾燥した枯れ木の中に鮮やかな花を見るとホッとします。また、大きな蟻塚が幾つも見られました。

   

カロ族の村を訪問
カロ族とはハマル族の一部が移住したもので、下唇に針を刺しており、子供たちは頭に花を飾り白いボディペイントをしています。
今回もまたモデル料のトラブルを避けるため、代表4名の集合写真の後、個別の写真撮影をしました。
オモ川を背景にカロ族の親子の写真を撮影しましたが、オモ川の周辺からは世界最古の人類の化石が沢山出土されており、世界遺産に登録されています。

   

トゥルミの野外マーケットを訪問
ハマル族の人達が中心になっているマーケットのようで、タバコ屋や炭屋が店を出していました。
売買は主に生活必需品や装飾品と子羊などを物々交換するそうで、売買をした後は部族のバーに集まり、お酒を飲んだり、おしゃべりを楽しんでいるようでした。

   

ハマル(ハマー)族の村を訪問
ハマル族の既婚女性は髪を編み込み赤い石を削ったものとバターを混ぜて塗り、金属製の首輪をはめています。男性には「ブルジャンプ」の成人式があります。
ここでも一夫多妻制で、結納の牛があれば、無制限で夫人を持つことが出来ます。第一夫人は特別の首飾りをしています。
「箪笥・長持ち どの子がほしい」といった感じの歌とダンスを披露してくれました。

   

7日目 今日はトゥルミからコンソを経由し、180km走ってアルバミンチへ移動します。

ベンナ族の村を訪問

この民族も男性は一夫多妻・ブルジャンプの成人式を持ち、村の中では山羊などの家畜を飼い、ハチミツを集めるカゴのようなものが設置されています。

   

コンソ族の段々畑(世界遺産)とデモ
コンソ族は王様を中心とした共同体社会を作っており、見事な段々畑は世界遺産に登録されています。
村に行く途中、多くの人が集まっていたので聞いてみると、デモが行われているということでした。
実は前日、政府軍がデモ隊に発砲して3人が死亡したそうで、原因は、コンソ族の自治権拡大に関わっているようで、世界遺産への登録でもコンソ族の意見をあまり聞かずに行ったことなどがあるようです。

軍隊も出ていて緊張しているようなので、昼食をとったレストランで情勢を調べ結果、コンソ族の村の中央までは行かずに道端で村の様子を見ることにしました。
村は、家の屋根が2重になっているのが独特で、広場にはサッカーのゴールもありました。

   

チャモ湖でボートクルーズ
エチオピア第3位の広さを持つチャモ湖にはカバやワニが沢山いるという話でしたが、嘴の黄色い鳥やペリカン、アフリカ鷲など沢山いました。
カバはいましたが一瞬、水上に顔を出しただけだったので、ほぼ撮影失敗。ワニは9mほどのナイルワニが魚をくわえて悠々と泳ぐ姿を撮ったのでまあ成功ということにしておきましょう。

   

8日目、アルバミンチから540km北上してアジスアベバに戻ります。

アジスアベバに向って北上
牛の行進をかいくぐって北上しました。
南の方では、薪や水タンクを背負った人たちをよく見受けました。
また、勉強道具を持った子供たちが挨拶をいてきました。午後の授業に出る途中でしょうか。

   

一日走って夕方、アジスアベバに戻り、エチオピアの民族音楽と踊りを楽しみながら、エチオピアの料理をいただきました。エチオピア人の常食のインジェラでおかずをくるんだエチオピア料理を食べます。
宿泊はヒルトン・アジスアベバ・ホテルです。
ちょうどアフリカ・サミットが開かれていて要人の姿も見受けられました。

9日目、10日目、アジスアベバ市内観光後、香港経由で成田へ

トリニティ教会を訪問
トリニティ教会(三位一体教会)は、エチオピア正教の重要な教会で、ステンドグラスに「シバの女王」がソロモン王に会見する絵が描かれています。
シバの女王は、イスラエルのダビデ王の次男であるソロモン王を訪ね、その子をエチオピアで生み、ソロモン王朝が始まったそうです。
エチオピア北部には、シバの女王の宮殿跡があります。
ソロモン王朝の最後となったハイレシェラセ皇帝と妻マナンの墓が教会の内部に安置されていました。

   

聖ギョルギス教会
槍で竜を退治している聖ギョルギス(聖ジョージ)はエチオピア人の好きな聖人だそうです。
聖ギョルギス教会は1896年に、アドワの戦いでイタリアに勝利した記念に建てられました。
教会付属の博物館には、メネリク2世、ハイレ・セラシエ皇帝の遺品が展示されていました。

   

国立博物館
国立博物館は1953年までハイレ・セラシエ皇帝が住んでいた建物です。
ルーシーという愛称のついた最古の2足歩行人の人骨(レプリカ)が展示されており、賢そうな小学生が勉強に来ていました。
ルーシーは1974年、エチオピア北東部のアワッシュ川下流域で発見されたということで、この年代は350万年以前に遡ります。

   

旅の終わりに
今回の旅は、かなりタフなものでした。走行距離、車両トラブル、暑さ、異文化との遭遇などをツアースタッフがサポートしてくれ、感謝・感謝という所です。タフだったけど、いい旅だったなあ。

旅の途中、暑さと、のどの渇きを感じて、水の大切さを感じ続けていました。
実は、今年2016年はエチオピアで干ばつの被害が深刻化しており、1984年に100万人の死者を出した大飢饉を上回る過去数十年で最悪の事態に陥る恐れもあると専門家は予想しています。
深刻な干ばつや、エル・ニーニョ現象により、不作や家畜の大量死が起こり、1020万人が食料援助を必要としているほか、200万人が安全な飲み水を必要としているそうです。

部族の人達は厳しい環境の中を原始的な生き方で、多分、快活に生きていると思いますが、「お金・バイク・スマホ」などが入ってくるとその生活は急速に変化していくことでしょう。
日本ではタレントが「二股をかけた」とか言って、テレビの話題を占領していますが、部族社会では甲斐性があれば何人でも夫人を持つことができます。
多分、生活環境が厳しく、女性は生き延びるのが大変で、結婚できれば、「企業に就職できて良かった」といった感じだろうと思いますが、「所変われば・・」という気がしました。

我々が行く先々、群がってくる子供達に取り囲まれ、「この子供達の未来には苦労も多いだろうな」と思いましたが、子供達はエネルギーに溢れており、少子化でゲームやスマホに溺れている日本の子供より、余程健全な将来を感じました。

                                                       (終わり)
          「南エチオピアの人々」(その1)へ

日本郷友連盟HP トップページへ